【WordPress】とりあえず再インストール

テーマ選び

先週の記事にて別サイトが壊れた旨を書かせていただいたが、今週はなんとかこれを復旧してみた。別段難しい作業でもないのだが、せっかく作り直すなら先のことまで考えて仕様を決めたい。テーマやプラグインなどどうするか?など考え始めるときりがない。

相変わらず考えている時間の方が長いのが私の悪いクセである。

ともあれ、なんとかテーマまでは決まった。





前回は少しマイナーなテーマを使っていたためもしかしたらそのへんで致命的なバグがあったのかもしれないとの反省があった。そのため今回はTwenty Fourteenを使ってみようとの結論。ひどくメジャーなテーマすぎるが。まずはこれでいいだろう。

そもそも新サイトの方はゲームのデータ公開とブログを予定していたものだ。Game of Warの方は最近プレイする意欲がなくなってきたが、8月の終わりにリリースされたリネージュ2レボリューションはかなりハマってる(笑)。なんといってもこれがいいのは自動でプレイできるというところ。
旧作のリネ2や2Dのころのリネは別名クリックゲーだとか皮肉られていたが、考えてみればそのクリック作業でさえ必要ないような仕様にした本作は私の生活にあっている。
やはり生活を圧迫しないゲームでないとね。

リネ2レボでちょっとビックリしたのは、Youtubeなどで精力的に制作された動画が無数にあるということ。どこからどう見ても会社組織がバックにありそうな内容のレビュー動画などがあのサイトにあがっているところを見るとけっこうな人気なのだろう。聞けば1ヶ月あまりですでに200万ダウンロードを超えたとか。

今時たいそうな数字だこと。

リネージュはゲームとしては3作目である。
1作目はもろに『リネージュ』というタイトルで2Dのゲームだった。今でもなんとかサービスを続けているらしいが、おそらく2Dではもう時代に合わないだろう。リネージュの後にリリースされたリネージュ2は3Dだったが、当時はペンティアム4とかAthlonとかであの重いゲームを回していた。それが約10年前の話。
更にその前の時代には現在よりもリネ2の時代よりも更にスペックの低いゲーム機(ファミコンだとかプレイステーションだとか)で、サンソフトの『一揆』というゲームがあり、これ総データ量が2メガというのが売りだった。
つまり2メガのゲームは当時かなりの大容量だったのだ(そのことはCMでかなり推していた)。

ところが、現在のスマホはそんな時代のハードを遥かに上回っている。

AppleやGoogleの戦略はハードのグローバル化

その昔、Appleがiphneをリリースすると発表した時はこのような結果は予想していなかったが、あの会社は今思えばコンテンツ業界の封建的な体制を堕したかったのかもしれない。

その後に追随したAndoroidもそうだが、ただの携帯電話をまるでコンピューターのように急速に進化させたのはあの二つの企業の功績だった。その結果何が起こったのかというと、例えば任天堂やソニーのゲーム部門の衰退だ。
言わずと知れて、任天堂やソニーはゲームのハードウェアからソフトウェアまで全て囲い込みで世に出していたわけだが、専用のソフトを専用のハードでしかプレイできないというこのスタイルに一石を投じたのがたとえばAppleやGoogleといった巨大企業だったのだろう。
Appleがすごかったのは、音楽や映画といったコンテンツをITデバイスとセットにして売ろうと考えたところで、当然ここにゲームなども絡んできたからこそ今日のこの状況が生まれた。

つまり、スマホ自体がゲーム機として機能する時代なのだ。

共通のOSと共通の基本仕様を備えたそれらは音楽や動画プレイヤーとしてもカメラとしてもパソコンとしても、そしてゲーム機としても機能する。そしてそんなことが世界的な規模で行われている現状は考えてみれば自由になったものである。

おそらく故スティーブ・ジョブスはこの状態を予測していたのだろう。
携帯電話を高スペック化してコンテンツまで絡めればこうなる。彼はきっとコレを狙っていたのだ。
故人がお亡くなりになる少し前にAppleは今後本業であるパソコン事業を拡大させる予定だというニュースがあったのを今でも覚えてる。そしてApple TVなどというサービスを始めるという話を聞いた時、私は「やっぱりな」と思ったものだった。
音楽や動画やゲームや書籍を制覇した同社はきっと次に放送も視野に入れるだろうと私は随分前にぼんやりと考えていたものだったが、その前触れをやっと感じた時に残念なことにジョブス氏はこの世を去ってしまった。

よく思うことがある。スティーブ・ジョブスがあと5年長く生きていたら今日のコンテンツ産業やIT業界はどうなっていただろうか?

いまとなってはタラレバの話だが、私はクリエイターがもっと自由に生きていける開放された世界ができていたのじゃないか?
氏ならきっと閉じていて既得権益に満ちた報道や放送の重い扉を開いたのではないか?

そんなことをよく考える。




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