【Medium】Mediumはどこから来たのか?どこへ行こうとしているのか?

自分を呪うべきか世界を呪うべきか?

Mediumの話題が続きます
瀕死のSNSにどんな期待を寄せれば良いのかわからない。あのサービスの収益化への期待が大きいことは紛れもないが、もしかしたらあれは閉じた世界をひらいてくれるかもしれないと私は考えている。

では「閉じた世界」とはなんだ?ということから説明しなければならない。



 



世の中は封建的である。無名の者が這い上がっていくにはよっぽどの幸運と「成功する性格」というものが必要で、これは私のような不器用な者にはかなりハードルが高く、それらの判定は不透明なのだ。
以前の記事で、Amazon他の電子書籍の委託販売サイトで、あのようなサービスでも作品の宣伝活動で大手その他に叶わないために個人出版は売れないと書いた。
「それは能力の問題では?」と思う諸氏もいるかと思う。つまり漫画描きとしての能力がかけているから世にでられないのでは?との反論だろう。
絵やストーリー作りのの能力など殆ど無くても漫画で成功している者も多い現実はあまり知られていない。だからこそ私のような者の意見は世界にはただの愚痴に聞こえることも多いのだ。
しかしながら逆の論、つまり能力がありながら報われない者もいるという現象はよく知られていることではないか?これは公正でないと私は考える。しかし自らに能力があるのかないのか?との疑問も残るが。

さておく。Mediumuの話。

公正な情報とは?

数年前のネットの世界ではマスコミの情報統制と情報自体の検閲に関しての感情論が溢れていたが、あれは正直ネットのハードユーザーにとっては十分に同情の余地がある意見だったと思う。海外で起こっている現象に関して日本のマスコミは隠していることが多く、PCのハードユーザー達は隠された情報を優位に集めることができるためテレビ報道のあり方の不公正さを問題視しない(またはできない)社会にイライラしたのだろう。
海外で起こった日本に関する出来事が報道されるのはたいてい1年以上経ったあとということが多く、国内でPCやスマホが使いこなせない高齢者を始めとする者の無知さを若い世代はせめてネットで公開したかったのだろう。
無知が問題なのか?それとも権威に従わなければならない社会に問題があるのか?それともそんな環境でハシッコく生きていけない自らが悪いのか?は、さておく。

海外の人間ではあるが、Mediumの創設者であるエヴァン・ウイリアムスもこのことが気に入らなかったのかもしれない。

当サービスのWikiを見てみると以下のような記述がある。

Mediumは単なるパブリッシング・ツールではなくネットワークである

 

これまでの当ブログの記事でも再三書いたが、MediumにはSEO対策が関係ないとされている。
これはGoogleの検索順位に左右されないコンテンツが書けるということだ。つまり、SEO対策のために重要キーワードをわざわざ記事に書くといった行動をとる必要がないということ。もう少し詳しくいうと、

なにも言葉を選ばなくても良い。自由に好きなことを記事に書ける。

ということだ。

これは表現の自由に直結する問題だと書けば大げさに聞こえるかもしれないが、いわばこういった世間の隙間につけいるスキがあると氏は思っているかもしれない。実は大衆はこのことに怒っている。そしてこれはもしかしたらこれは世界的な傾向なのかもしれない。

MediumはWordpressで構築しなければ実現できないブログの難易度を下げ、Twitterの不自由さを駆逐し、かつGoogleに対するSEO対策の必要性を払拭し、そこでもしかしたらコンテンツの提供者に収益化をもたらす可能性があるのかもしれない。ようはもっと自由にモノを言えて、それが収益に変わればブロガーやアフィリエイターにとっては革新に近いのだ。

 

また動画公開します。前回間違えて未発表のラフ漫画の作業動画あげちゃいました(笑)。今回上げるのは#5の2ページ目の作業動画です。




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